We are here

私達はあるがままに生きていきたい。ただそれだけです。



初めて閲覧下さる方は、カテゴリーの『初めての方へ最初の挨拶』からご覧ください。

初めて閲覧して下さる方へ

このブログを作成して第一声に、猫の記事をアップしてしまいました。

 

初めまして。…という言葉から挨拶や自己紹介を紡ぐのは非常に苦手ですが…

 

最初にひとつだけ、まず申し上げようと思います。我々の自己紹介は、この記事ひとつではなく、このブログ全体となっていくと考えております。このブログ上で記事をお読みいただく中で、僅かずつなれど、我々という状態が、プロフィールに書きましたような「一言プロフィール:ひとつの戦艦の中に押し込められた船員たち」というプロフィールの意味が、おわかりいただけるようになるのではないかと思います。

我々はありのまま存在し、日誌をつけるのみです。無理やり我々の状態を説明しようとすると自己診断かのようになりかねませんし、我々としてはありのままになるべく無理のないように生きていきたいだけですので、自分達を変な型にはめ込んでしまいたくもありません。はめ込んで全てが解決するとでもいうなら別ですが…そんなこと絶対にありませんのでね。経験上からしても。

 

久々に、公開ブログを持ってみようと思い、実行してみました。

社会的に、ある程度一貫した人物像を演じなければならない状況において取り繕い誤魔化しながらであっても恙なく過ごすということに、少しずつ慣れてきたところで、こちらも一貫してひとつのものにまとめようかと。

 

といいますのも、今まで、本当に我々それぞれが、好き勝手にブログやらホームページやらを持っておりました。恐らくは、我々と同じような脳と心の状態を体験したことがある方でなければ、きっと信じられないことでしょう。

はてなブログgooブログ、Yahooブログや今や存在しないinfoseekでのブログ(?)、ホームページ作成サイトのフォレストページや魔法のiらんどなど、そしてそれらの中でも数えきれない程のIDとパスワード。同時進行ですよ。

 

…各々の…主張だったのでしょう。

 

今までは数えきれない程のサイトを持ち、それでいながら、個々人の主張や情報は、特に今現在の私達自身の状態…社会に出て何食わぬ顔で働いている上で漏れるわけにいかないアイデンティティの問題・メンタル面での問題、これらに関すること(といいますより、我々は日常何をしても何を言ってもこれらの問題が関わってきます)は全て、パスワード制や非公開にしてやってきていました。

 

しかし今回は、我々を個々バラバラではなく、我々を我々全体として表現してみるということに挑戦してみるために、表現方法・媒体をひとつにまとめ、それでいて、今までのように非公開の中でリスクを恐れて隠れ棲むのではなく、世の中に紛れてありのままを綴っていこうと考えています。発信、とまではいきませんが、ここにこのような状態だけれども、傍から見たらまともじゃない状態ではあるかもしれないけれども、それでも世の中まともに生きている存在がいるよ、と。

と同時に、一見まともに生きているのだけれども…”まともに見せる"ためにかなりの苦労・工夫をしている存在達がいるのだよ、と、知ってほしい面もあります。

 

そしてもし、我々と同じような状態を抱えた人たちがいて、ここを通じて接触することができる機会がもしあったなら、知り合いたい。

 

病院やカウンセリングではいろいろな診断名やいろいろな薬は出してくれます。あらゆるテクニックを駆使して共感の言葉だけはいくらでもくれます。しかし、当事者を当事者として扱ってくれません。話を解ってはくれません。人生を解ってはくれません。

 

…医者は医者であり、いくら知識を身につけたところで体験したわけではありませんので、解りようがないのです。現状が解り合え、話が通じるのは当事者同士です。

 

しかし今の世の中皮肉なもので、何でもかんでも知識の上で分類したがる医療界に乗せられ患者たちまでもが、医者からはっきり診断名を貰っていないケース、違う診断名を下されているケースなどを自分達から排除しようとする傾向も広まってきていますね。

 

社会に受け入れられる(ある意味で)ためには診断名と診断書がないと。という風潮もありますが、それと同時に診断名に縛られるのも苦しいでしょうに。いずれにしても苦しい。

 

そして更にそれと同時に、あらゆる事情で医者のたらいまわしや診断名の二転三転などで診断されない者、経済的家庭的等あらゆる事情で通院がなかなかできない者、診断名とその診断名で広まっている”症状の知識”と実際の症状が違う者、などにとっては、当事者仲間にも、社会にも、どちらにも受け入れられず孤立していく、こんな傾向もあるのではないでしょうか。

 

また、世の中本当に何でもかんでも”分類”をしたがる世の中になりましたね。

メンタル面の話をする場合、その相手とはなかなかポジティヴで活動的な話ができないものです。”前向きだ”という理由での爪弾きですよ。

 

逆に社会における仕事仲間などでは、ある程度個人的に仲良くなったりしても、メンタルの事は話せない。希死念慮やうつなどでさえ、当事者にとってはもはや普通の感覚であったり考え方であったりするのだが、”普通の社会”にとっては異質なことでありそれを聞いただけで”怖い”と感じたり”おかしい”と感じたりするので、そこは間違っても口を滑らせることはできない。

 

とすると、メンタル面でいろいろ問題を抱えながらも社会で前向きに生きている人達にとっても、これまた話を聞いて欲しい時に自分を出せる場所がないではないか。何とかでも社会に適応して前向きに生きているにも拘らず、社会からも、また似た症状を抱える当事者たちからも爪弾きにされる事態ではないか。

 

感じている方、いらっしゃるのではありませんか?

 

そういう人たちはどこにも自分を出せない、孤立感を感じ、それでも自分にはそれを”甘えに過ぎない”などと叱咤して前向きにがんばりつづけているから、ネット社会にも浮上してこない。

 

似たような方がいるなら、その現状を、発信とまではいかなくとも、存在表明だけでも、試みてみようかと。

 

あまり吐き出すような気はありません。

日常の生活や、我々の状態というものが、これだけ長い記事を書いても一言も説明を始められないその状態というものが一体どのようなものなのか、など少しずつ更新していこうかと考えております。

 

 

 

…後々に意味がわかるかもしれませんし、もしかするとわからないかもしれませんが、今回の記事の文責は私俊成と申します。

 

明日…か後日、機会があれば、今度は我々の肉体面、社会面…つまりこの記事のような抽象的な考え方などではなく現実的なところですね、について、記事にしてみたいと思います。その後は…私個人のことでも書いていってみますか。もしご興味をお持ち下さいましたら、今後ともお付き合い下さい。